あくまでも小説

本書は、豊田佐吉をモデルにしていますが、あくまでも小説なので史実を追求したものではありません。また現存する豊田自動織機、トヨタ紡織などトヨタグループとは何の関係もありません。

愛知銀行や名古屋銀行という銀行も登場しているが、旧東海銀行の前身をイメージにして執筆したもので、現存する愛知銀行や名古屋銀行とは何の関係もありません。

豊田家とのやりとり

北見昌朗は、豊田さんとの接点は特にありませんでした。原稿が出来て、名古屋市長の河村たかし氏にお会いした際に、河村氏から「ところで豊田さんには伝えてあるのか?」と尋ねられました。河村市長は、もともと佐吉のことが好きで、色々調べておられます。北見昌朗が「いいえ」と答えると、その場でトヨタ自動車に電話を入れて、紹介して下さいました。そこで北見昌朗は原稿の全文をトヨタ自動車に送りました。

「豊田家の代理」ということで、トヨタ自動車の幹部が(株)北見式賃金研究所を訪問されました。訪問日は平成31年の春です。訪問回数は2回です。

そこで問題になったのは、佐吉翁の先妻である「たみ」の描き方でした。「たみ」は喜一郎を生んでから家を出て、離婚しています。離婚後の消息はあまり知られていません。

北見昌朗は、「離婚後に出世した元夫のことを良く思っている訳がない」「生後1歳の子供を置いて家を出ていくのは尋常ではない」との想いから、たみはその後不幸になり、元夫の佐吉翁を憎んでいると描きました。

豊田さんは、「たみに関する記述は子孫の方々の名誉感を害する」と指摘して、削除訂正を求めてきました。「問題箇所」は書面で出されました。

北見昌朗は、その要望をほぼ全面的に受け入れて、問題箇所を削除しました。そのおかげで、豊田さんからは、こんな返事を頂戴しました。
「『やらまいか』のご出版を進めるにあたり、北見様には誠意をもってご対応いただきましたことに、まずはお礼を申し上げます」

もっとも、メールの文末には、こんな一言もありました。
「申し上げるのは大変心苦しいのですが、あらためて、しっかりお伝えしておかねばならないのは、ご親族としては、佐吉やそれにまつわる方に関する書籍の出版は、弊社またはトヨタグループ企業が編纂するもの以外、望んでおられないということです」

北見昌朗はもともと、トヨタ自動車とか現経営者のために書いた訳でもありませんし、別に頼まれた訳でもありません。北見昌朗の意志で書いてきたことです。北見昌朗としては、豊田佐吉翁という人物は、教科書にも載っている偉人ですから、それを書くのは筆者の自由という判断です。

仲介の労を取って下さった河村市長には感謝の言葉もありません。