講談 やらまいか豊田佐吉傳

挫折

試作品

完成品



発明に成功したとはいうものの、豊田商店の経営は、苦難の連続でございました。
取引先が破綻して不良債権を抱えたこともございます。
従業員に裏切られて、受取手形を盗まれたこともございます。
類似品が出回ったこともございます。
そんなことが続いて、佐吉は人生最大のピンチを迎えます。


それは明治39年、39歳のことでございました。
豊田商店は、資金繰りのメドがつかず、経営危機を迎えたのでございます。
浅子と佐助は仕入先を回って、支払いの猶予を頼んで回りました。

「あのー、すいませんが、もう少しお待ちいただけませんか?」

「はあ、何言っとりゃあす。モノを買ったらカネを払うのが当たり前だがや。あんたは商売ってものがわかっていない」

「わかっています。でも」

「でももへったくれもないがや。豊田さん、破産宣告という方法もありますぜ」

「エ!、そ、それだけは、なにとぞ」


8月に約束手形の支払期日があり、不渡りになるともう倒産。明治時代のことだけに倒産は経営者の死を意味したのでございます。



さて、8月のある日、名古屋銀行の中田支店長がやってまいりました。この男、貧相なネズミ男。コイツが傘を差しながらやってまいりました。

「ごめんください」

手形の盗難事件以来、中田支店長がやって来たのはこれで10回以上でございます。

中田支店長が持ってきたのは、一種の救済案で、新会社の設立案でございました。

豊田式織機を設立。
出資者は、大阪合同紡績の鷺田良希が決める。佐吉には出資を求めない。
社長には、鷺田良希が就任。
佐吉は、常務取締役に就任。
佐吉は、特許をすべて豊田式織機に譲渡。
佐吉が今後発明するものは、すべて豊田式織機に帰属。
豊田商會が背負う債務は、すべて豊田式織機が肩代わり。


社名こそ「豊田式織機」ではございますが、佐吉は使用人みたいなものでございます。

計画書を見せられて、佐吉は顔色が変わります。生涯を掛けて行った発明の成果を差し出せというのでございます。


「話にならんぜ」

怒って立ち上がりました。
だが中田支店長は、立ち去る佐吉の背中に向けて

「でも、それじゃあ、どうされるのですか?」

名古屋銀行から脅迫めいた”救済案”を突き付けられた佐吉は、もう眠れません。

(それにしても腹が立つ。俺が生涯を掛けて発明した特許を全部差し出せだと、よく、そんなことを言えたもんだ)


(でも、そうはいっても、どうしようけ?)

想いは、あっちにいったり、こっちにいったり、定まりません。


さて、翌日の夕刻、佐吉は涼しげな着物を着て、ぶらりと街へ出ました。
当て所もなく、碁盤割と呼ばれる名古屋の市街地をぐるぐると回りました。ふと気がついてみると、堀川です。
五条橋を渡って南に向かうと、西側沿いは大船町でございます。
周囲には江戸時代から続く商家が並んでいたのでございます。
そこには、中橋という橋がございます。中橋の橋の欄干から、ヒョイっとみると、堀川の水は綺麗で、鮒とか、泥鰌とか、色々な魚がいたのでございます。

だが、魚を眺めながらも、気がつくと、ハアこれで、今日一日、何回溜め息を吐いただろうか。

そう想いながらも、また、ハアー


(いっそ、身投げしてしまえば楽になるかも…)

特許を差し出すか?あるいは倒産するか?


この苦悩、この屈辱、この悔しさ、この許せなさ。


 

佐吉はさらに歩いて広小路に入り、栄に向かって歩きました。広小路には屋台が並んでいたのでございます。そこにブラッと入り、もう焼け酒。 

「ハア」

とか

「フー」

という溜息は止まらないのでございます。


帰りがけに、一人で広小路を歩き出したところ、すぐ朝日神社にさしかかりました。通り過ぎたものの、また戻り、その前でウロウロウロウロ。
意を決し、神様に向かって二礼、二拍手、一礼。

(もう、これしかねえ)
覚悟を決めた瞬間でございました。


名古屋銀行の紹介であった大阪の繊維商人鷺田良希は、会ってみると、まるで馬のような男でございました。日本人かと思うぐらい色黒で、出っ歯でした。

「ワテが鷺田良希(さぎたよしき)やねん」

「豊田はん、あんさんの発明家としての名声はごっつい響きおっていますわ。この綿業界では、知らぬ者がおりゃしまへん。ご尊敬申し上げます」

「新会社の名前は、豊田式織機株式会社やねん。ご自分の会社やって思ってくれへんか。発明に必要な資金はなんぼでも出しますさかい」

鷺田は傲慢(ごうまん)で陰険でした。

でも、その馬面に言われるがままに、ハンコを押すほかなかったのです。

こうして、大阪のえげつない馬面の商人の軍門に下ったのでございます。


豊田式織機の設立総会は、明治39年12月でございました。式典の場所は、新築開業したばかりの河正旅館でございました。
場所は、魚之棚通の料亭河文の近くでございます。
その河正旅館の主は、豊田式織機の社長鷺田良希が兼務しておりました。女将は、その愛人の艶子でございました。


この艶子は、遊郭あがりの女で、カネカネカネの亡者だったのでございます。


鷺田良希と艶子。この二人が、その後、佐吉を苦しめ続けることになるのでございます。



注:●は、扇子を打つ音でございます。