豊田佐吉翁マップ チャリティー販売のお知らせ

豊田佐吉翁のゆかりの地を歩く特大マップを制作しました。B1サイズ カラー印刷。大正時代の古地図を使っています。

豊田佐吉マップ

画像クリックで拡大版をご覧いただけます。

この特大マップは、三洋堂書店でお分けしています。1枚1,000円(税込み)で、その売り上げはすべて名古屋城に寄付されます。

三洋堂書店新開橋店の特設コーナー

マップは、以下の店舗で扱っています。

  • 三洋堂書店
  • 三洋堂書店 梅坪店
  • 三洋堂書店 いりなか店
  • 三洋堂書店 乙川店
  • 三洋堂書店 大田川店
  • 三洋堂書店 よもぎ店
  • 三洋堂書店 中野橋店
  • 三洋堂書店 鳥居松店
  • 三洋堂書店 新開橋店
  • 三洋堂書店 知立店
  • 三洋堂書店 香久山店
  • 三洋堂書店 江南店

額入りの「豊田佐吉マップ」贈呈します

額入りのマップを制作しました。飾ってくださる先には贈呈させていただきます。
例:役所、銀行、料亭、資料館等々

遠慮せずお申し出下さいませ。

大正時代の名古屋古地図で、佐吉翁のゆかりの地を歩こう!

豊田佐吉なんて、名前だけは知っているけど、どんな人だったのか、ぜーんぜん知らない方をイメージして書きます。クイズ形式でいきましょう。

豊田佐吉というと、織機の発明で有名ですが、彼の創業の地はどこでしょうか?
①湖西市(生まれ故郷) ②豊田市  ③名古屋市
正解は③の名古屋市です。トヨタと言いますと、どうしても三河のイメージが強いですよね。でも三河を拠点にしたのは、どちらかと言うと自動車の時代になってからです。織機の頃は名古屋でした。
名古屋が創業の地と言うことはわかりましが、では、名古屋のどこでしょうか?
①西区の栄生(産業技術記念館)  ②テレビ塔  ③東区の白壁近辺
正解は②のテレビ塔です。西区の栄生(産業技術記念館)を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、そこは佐吉が47歳の時に造った工場です。テレビ塔で創業したのは明治29年で、佐吉がまだ29歳でした。屋号は「豊田商店」と言いました。
創業の地が「テレビ塔」だと分かっていただいたと思いますが、それでは当時なんて町名だったでしょうか?
①長者町  ②宝町  ③武平町
正解は②宝町です。宝町こそが「豊田商店」の創業の地です。妻浅子とともに開業しました。
佐吉の創業の地は、西区の栄生(産業技術記念館)だと思っていた。だってトヨタグループの発祥の地だと聞いていた。それならそれで、トヨタさんはなぜ宝町を創業の地と呼ばないのか?
①宝町の工場はみすぼらしい小さな工場だったから ②栄生の工場は大手資本家の協力を得ずに経営したから
正解は②で、栄生の工場は大手資本家の協力を得ずに経営したからです。栄生は「自力経営」が始まった地なんです。「自力経営」とは大手の資本を借りないで独力だけで会社を経営するという意味です。逆に言えば、それまでは「他力経営」でした。織機の発明のために多額の資金が要ったので、資本家に金融支援を仰いだ時期があったのです。でも、資本家に騙されて辞任に追い込まれたことが契機になって、「自力経営」に転じたのです。ある料亭で緊急役員会が開催され、そこで詰め腹を切らされたのです。
佐吉が辞任に追い込まれた料亭は、どこですか?
①魚之棚の河文 ②魚之棚の河正旅館 ③八事の八勝舘
正解は、②で、魚之棚の河正旅館です。ちなみに明治43年のことでした。業績悪化の責任を取らされました。ちなみに、魚之棚は「うおんたな」と呼びます。佐吉を辞職に追い込んだのは豊田式織機(株)です。この会社は社名こそ「豊田式」でしたが、佐吉はまったく出資していませんでした。佐吉は「常務」という肩書きでしたが、実質使用人みたいなものでした。佐吉は米国視察を終えると、再起を賭けて工場建設に邁進しました。それが栄生の工場です。
佐吉は名言を残していますが、いずれがそうですか?
①「障子を開けてみろ、外は広いぞ」 ②「経営とは、人として正しい生き方を貫くことだ」 ③「私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある」
正解は「障子を開けてみろ、外は広いぞ」です。この言葉は、豊田紡織が上海に進出するかどうかを議論していた際に、ある料亭で発した言葉です。大正8年のことです。

ちなみに「②経営とは、人として正しい生き方を貫くことだ。」は稲盛和夫氏です。「③私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある」は、本田宗一郎です。

「障子を開けてみろ、外は広いぞ」というのは、どこの料亭で発した言葉か?
①かもめ ②つたも ③志ら玉 ④弥生 ⑤香楽
正解は、④弥生です。弥生は、中区錦三丁目21番地にありました。名古屋ナゴヤガーデンパレスの道を隔てて東北側です。
東区白壁に行くと「豊田●邸」があります。さて、誰の邸宅でしょうか?
①佐吉 ②喜一郎 ③佐助 ④利三郎 ⑤伊吉
正解は③佐助です。建物が残っているのはココです。ちなみに佐吉邸は、清水口の交差点の西側(現ダイキン工業名古屋支店)でした。
佐吉は蒲焼町でよく呑んでいました。さて、蒲焼町とは現在のどこでしょうか?
①女子大小路  ②今池  ③名古屋駅西  ④錦通  ⑤伏見
正解は④錦通です。錦通は、以前「蒲焼町」と呼ばれていました。特に「花月」という料亭がお好きで、頻繁に呑んでいました。今風に言えば「キンサンの男」だったのです。
ちなみに、この「花月」は、ある有名な政治家の先祖が経営していました。さて、誰でしょうか?
①田中角栄 ②佐藤栄作 ③桑原幹根 ④春日一幸 ⑤河村たかし
正解は⑤河村たかしです。河村市長の母方の祖父にあたる杉野直一が経営していました。

さあ、いかがでしたか? 佐吉の足跡を辿ると、名古屋の歴史まで詳しくなりますよね。佐吉マップは、佐吉が活躍した大正時代の古地図を使って解説しています。100年以上前の名古屋にタイムワープしてみましょう。

令和元年9月 記載