女性の顔
北路透は、小説を書くにあたって、特にこだわったのは女性の顔の描き方でした。
豊田ゑい
この「ゑい」は、本書の語り部で、豊田家のゴッドマザーです。このような解説を付けました。
「本書で語り部を務めてくれるのは、佐吉の実母ゑいである。夫婦とも熱心な日蓮宗の信者だったが、特にゑいはとっぷりと浸かっていた。生きることは信仰と一つになっていた。
ゑいは、多忙だった。野良(のら)仕事のほかにも機織りという大事な仕事があった。
当時交易の盛んだった笠井の市で取引されたことから笠井縞(かさいじま)と呼ばれた。地域の綿織物はやがて取引市場の広がりから「遠州縞(えんしゅうじま)」と総称されるようになった。ゑいも、この遠州縞を織っていた。
ゑいは小さな身体だったが、毎日懸命に機を織った。織機は、
チャンチャン、カラッ。チャンチャン、カラッ…。
という音を立てた。
佐吉は産まれた時から、その音を聞きながら育ったのである」
そして、初めてゑいが登場するシーンでは、佐吉の発明の成功をひたすら祈念する姿を、このように描きました。
「コト!
と、背後で音がした。入り口の方向からだった。
ビクッと反応した『ゑい』は読経(どきょう)を止め、後ろを振り返った。入り口の戸を見ると、そこには飼い猫のシロがいた。
(なんだ、シロだったのけ)
と、ゑいは溜め息を吐いた。そして目を閉じて
(今頃、どうしているのけ? どうなっているのけ? うまくいってくれればええのだが…)
と、遠くに想いをめぐらした。
(手紙の一つでも送ってくれればええのに…)
という気持ちが顔を曇らせた。
そして自分の感情をこらえるかのように唾を呑み込んで、再びお経を唱え始めた。
『南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう) 南無妙法蓮華経』
という声は、何時までも続いた。
お経を唱える『ゑい』は、身長が4尺8寸弱(145センチ)しかなかった。だが背筋がピンと伸び凛(りん)としていた。
ゑいは野良作業で日焼けしていた。丸い顔で、肉付きの良い頬(ほお)だった。一重瞼の目でよく笑った。笑うとなくなりそうな細い目だった。齢(よわい)50だった。
着ていたのは継ぎはぎだらけの麻の着物で、質素というよりも粗末なという表現の方が合う身なりが豊田家の家計を感じさせた」
ゑいは、息子の成功を見届けながら、このように亡くなりました。
「ゑいは、既に白い布を顔に被(かぶ)せられていた。
佐吉は白い布を取って、ゑいの顔を見た。
優しくて良い顔だった。一点の曇りもないような落ち着いた表情だった。
『いいお顔をされている。まるで仏様のようだ』
住職がそう言った。
佐吉は号泣した。熱い涙がとめどもなく溢れ出した。平吉も、佐助も同じだった。
その日は、家族水入らずで過ごした。兄弟たちは母の想い出を語り合った。実家の居間には、額が何枚も飾られていた。藍綬褒章(らんじゅほうしょう)や、発明の特許證などであった。これらは名古屋の佐吉の家に置いてあったが、ゑいの懇願(こんがん)により先月から実家に移されていた。
『おっかちゃは、これを一番大事にしていたよ』
伊吉は、一つの額を手にした。佐吉が25歳で初めてもらった特許證だった。
『寝床の横に置いて、しょっちゅう手を合わせていたよ』
伊吉は、額のガラスを布で拭きながら言った。
佐吉は、伊吉の目を盗みながら納屋に閉じ籠(こ)もって織機の発明に没頭していた頃を想い出した。誰も理解してくれなかったが、ゑいだけは自分を認めてくれた。
初めてもらった特許證を見せた時は、ゑいは
『さきっちゃ、お前はよくやったじゃん』
と、何度も褒めてくれた。その時のゑいの顔がまざまざと浮かんできた。
(おっかちゃ、有り難う)
佐吉は、額に入った特許證を抱き締めた。
葬儀は、12月16日に行われた。空が青く晴れ上がり、仏様が贈ってくれたとしか思えないような快晴だった。
飾られた遺影は、お地蔵のような優しい笑顔だった。額に三本横にくっきりと皺があり、目尻にも皺があった。ほうれい線が末広がりで伸びていた。温かく包み込むような笑顔だった」
豊田たみ
たみは、佐吉と結婚しましたが、喜一郎を産んで、すぐ豊田家を出ました。その後の消息は表に出ていません。佐吉は昭和5年に亡くなり、昭和8年にトヨタ自動車が「豊田佐吉傳」を出版しました。その中には「たみ」という名前はまったく出てきません。まるで浅子が初婚だったような印象さえを受けます。この「豊田佐吉傳」の編纂は、浅子が主になっていたので“消されて”しまったのだと思います。
この「たみ」をどう描くのかで、北路透は腕を振るいました。歴史上から消えているような人なので、どう描くのか作家の自由だと思いました。元の原稿は、こんな感じでした。
「たみは、喜一郎を抱いて出ていこうとしたが、伊吉に奪われてしまった」
「たみは、豊田家を憎んだ。佐吉の成功を知ると、佐吉に対する憎悪は増すばかりだった」
「たみは、我が子喜一郎を奪い返すために、途方もない決意をした…」
しかし、この記述は、豊田家の代理人を称するトヨタ自動車広報から“待った”がかかりました。
「名誉権を害する」
ということで、削除の要求を書面で出してきました。
北路透は納得できないものの、全面的に譲歩して、問題箇所を削除しました。
たみを、描くにあたって、イメージしたのは女優の蒼井優さんです。可愛い女性でありながら、気性が激しい。その蒼井優さんが日本髪を結った姿をイメージしながら読んで下さい。
「佐吉は無理矢理見合いをさせられてしまった。見合いの相手は、佐原たみという娘だった。年齢は佐吉よりも5歳下で、22歳だった。
気乗りしない佐吉はむすっとしていた。ただでさえ無愛想な佐吉がむすっとしているのだから、およそとっつきにくい雰囲気だった。
たみは、お茶を出す際にチラッと佐吉を見た。ずんぐりとした体型で、顔が大きかった。だが、その表情はむすっとしていた。まるで怒っているかのように無口で気難しそうだった。たみは、この人か? とためらいを感じた。正直気乗りしなかった。
たみは、身長は5尺1寸(155センチ)だった。二重瞼の大きな目で、可愛らしかった。小さい唇で、小鼻のふくらみにホクロがあった。だが、太い眉に気性の激しさも感じられた。佐吉は、住職から
『どうだ、可愛い娘さんだろ。明眸皓歯(めいぼうこうし)だ』
と勧められたが、実は見てもいなかった。
結婚は、親が決める時代だった。
二人は祝言(しゅうげん)を挙げた。式の当日は春雷があり、雲がピカピカッと光ったと思ったら、雨がザアッと降り出した。たみは気持ちがげんなりと沈んでしまい、三々九度をあげながらも
(親が決めたから結婚するけど、本当にこれでええのけ…)
という不安が膨らむのを抑えられなかった。」
そして、喜一郎がまだお腹の中にいる最中に、佐吉は失踪してしまいます。織機の発明のためでした。
「たみが朝起きたら、横で寝ているはずの佐吉の姿が見えなかった。たみが不審がって、あちこちを捜したが、どこにも姿が見当たらない。
よく見てみると、枕元に置き手紙があった。
『たみへ。織機の発明のため、少し家を出る。しばらく家を空けるので、よろしく頼む。後のことは、母に頼んでおく』
あっさりとした短い手紙だった。いきなりのことで説明もなく、申し訳ないの一言もないところが、いかにも佐吉らしかった。
たみは、佐吉を許せなかった。夫婦なのに、なんで、まったく何の相談もしてくれないのか。
(あんたにとって、私はどんな存在なのけ…)
という、やり場のない怒りが込み上げた。
(許せねえ)
たみにとって、佐吉は到底理解できない夫だった。理解できないどころか、このところは憎悪のようなどす黒い感情まで湧いていたが、この失踪で佐吉と自分とを結ぶ心の線がブチッという音を立ててちぎれてしまった。
激しい怒りが湧き上がってきて、部屋にあったモノを壁に向かって手当たり次第に投げつけた。
(いったい、ぜんたい、どういうことなのけ?)
こうなると、もう怒りを鎮める術がなかった」
たみは、喜一郎に会いたい一心で名古屋に出てきます。タダで名古屋に行けるという理由で、キリスト教の教会で賄い婦になります。そして探しあぐねた末、ようやく再会できたのです。
「たみは、教会で住み込みを始めてから、すぐ喜一郎を捜し始めた。
11月30日のことである。午後3時頃、たみは武平町の街を歩いていた。早歩きで、目をキョロキョロとさせていた。すると、前方に小さな男児を見つけた。男児は4歳ぐらいであろう。家の前で遊んでいた。
『アッ!』
たみは、一瞬にして身体がこわばった。そして、すぐ駆け出した。100メートルぐらいの距離だったが、下駄で必死に走った。たみが駆け寄ってくると、男児もこちらの方を見た。
『アッ!』
男児は口を開いて、目を大きく見開いた。
母と子というものは、幼い頃に別れていても、互いにわかるものだ。前回会った時は明治29年6月のことで、病院だった。喜一郎はまだ生後24ヶ月だった。そんな頃の記憶なんて忘れてしまうものだが、母子の場合は別だった。
喜一郎も、たみを目掛けて走ってきた。笑顔で飛び上がらんばかりだった。だが、喜一郎は急に駆け出したので転んでしまった。たみは喜一郎を起こして抱き締めた。もう喜一郎の頬は、たみの接吻で一杯になった。
喜一郎は、母に会えた嬉しさで大泣きだった。
『おっかちゃ』
『おっかちゃ』
『おっかちゃ』
と、何度も呼んだ。たみは喜一郎を抱き締めた。そして
『もう、離さねえよ』
と、言って抱き締めた。
そこに浅子がたまたま出くわした。浅子にすれば、見たことのない女が突然現れて、喜一郎を抱き締めているので驚いた。だが、たみが
『私は、きいちゃんを生んだたみです』
と言うと、浅子は
『エッ』
と驚いた。浅子はすぐ家に入り、佐吉を呼んできた。佐吉は久しぶりに会ったたみに驚いて
『あれ、おまえ』
と両手を挙げた。こうして、家族はひさかたぶりの再会をした。
たみはその後、定期的に喜一郎と会えるようになった」
元の原稿は、もちろん「定期的に会えるようになった」訳ではありません。どんな原稿だったのか、そこは空想を巡らせて下さい。
豊田浅子
北路透は、女優の宮崎あおいさんをイメージしながら浅子を描きました。
佐吉と浅子は、男に襲われそうになった浅子を救うシーンがあり、それが出会いです。その襲われそうになった翌日です。
「二人が話し込んでいる、ちょうどその時、お茶を持ってくる女がいた。
『どうぞ』
その女は客人を見るなり、湯呑みを倒しそうになった。昨日佐吉が助けた女だったからだ。
『あ、あなたは…』
『エッ! あ、あなたは…』
二人は、思わず眼を大きく見開いて見つめ合った。
『昨日はお助け頂いて有り難うございました。所用があって夜に出掛けたら、あんなことになって…。あなた様に助けて頂かなければ、どうなっていたことか。御礼を申し上げたく思いましたが、連絡先もわからず…』
二人の驚きぶりを見て、藤八は意味もわからずポカンとしていた。
『ご主人さま、この方は昨夜、私を助けて下さった方です』
そう教えられて、藤八の表情が一変した。
『昨日、浅子さんを助けておくれたのは、あんたさんおいでたか? それはそれはありがとさんでした』
浅子と呼ばれた女と籐八は、心配顔になって佐吉の顔を覗き込んだ。
女の名は、林浅子という。後に佐吉と結婚し、まさに女太閤記のように佐吉を支える糟糠(そうこう)の妻になる人物だ。この当時はまだ石川藤八家の奉公人で、芳紀(ほうき)18歳だった。
浅子は、卵型の顔だった。ぱっちりとした大きな二重瞼の目で、つぶらな瞳だった。笑うとエクボができた。生え際は富士額(ふじびたい)だった。眉間の少し上にあるホクロが聡明さを感じさせた」
この佐吉と浅子の仲を取り持ったのは、石川藤八です。佐吉はまだ妻がいるのに、おせっかいを焼きました。
「『そこで話があるのだが、浅子さん、君、豊田さんのことをどう思ってみえるかな? お似合いだと思うのだが…』
『エッ!』
浅子は思わず声をあげてしまった。実は、佐吉の世話をするうちに、その優しさに触れて心を寄せるようになっていた。
浅子は
『でも、私なんかでは…』
と真っ赤になりながら、やっとのことで返事した。
浅子のまんざらでもない表情を見て
『話を進めるのは、ご迷惑かん?』
と藤八は身を乗り出した。浅子は首を縦に振り、言葉を口にした。
『そんなことがかなうのなら、ぜひお願いします』
と真顔だった。
佐吉と浅子は互いを意識し合うようになった。浅子は食事の世話をしながら佐吉の目を見ることもできなくなり、世話を終えると、そそくさと佐吉の部屋を出るようになった。
だがある日のこと、浅子がお茶をいれて、佐吉に差し出した時に二人の手が触れあった。
『あっ』
と二人は同時に声を出して、見つめ合った。
佐吉から話を切り出した。
『先だって石川さんが変なことを言ってきたんじゃ。なんと浅子さんとの縁談だというのじゃ。浅子さんが僕なんかと結婚する訳がねえと、そう言って返事をしたのだが…』
浅子は悲しそうな表情に一変した。
『お断りされたのですか? 私ではやっぱり駄目なのですか?』
佐吉は浅子の言葉に驚き、浅子の目を見た。
『じゃあ、僕でもええというのけ? あなたは』
浅子は真っ赤になり、目をそらした。
『本当? 君は本当に僕と結婚してもええと思っているのけ?』
浅子は小声ながらも、ハッキリ言った。
『はい』
だが、佐吉は伏し目がちに目をそらしながら自分のことを語った。両親から強制された最初の見合い結婚のこと、家庭生活を顧みずに発明に没頭したので妻が家を出たこと、両親に子供を育てて欲しいと頭を下げたことなど。佐吉にとっては辛い現実だった。
浅子は、佐吉の話をじっと聞いていた。そして言った。
『私は、佐吉さんの、そんな優しさが好きです』
佐吉は浅子の目を見た。そして、なおも言った。
『僕は発明にしか能がねえ男じゃ。しかも、その発明も緒に就いたばかりだ。正直、今の僕はあなたを幸せにする自信がねえんじゃ』
と横を向いた。
浅子は悲しそうな顔をした」
佐吉は、共同で事業を興した男にオカネを持ち逃げされ、巨額の賠償を負いました。その佐吉を心配して、浅子が押し掛けるシーンです。
「佐吉が名古屋の店に行って、1週間後のことである。お昼頃、表の扉を叩く者がいた。
(また借金取りかな)
佐吉は隙間から外の様子を伺いながら、恐る恐る扉を開けた。すると、そこには浅子が立っていた。佐吉はたまげた。
(エッ!、どうかしたのけ? 何かあったのけ?)
浅子は問いに答えず、はにかんだ。そして、うつ向いた。顔はポッと赤くなり、うなじまで真っ赤だ。
『まあ、中に入って下さい』
と佐吉は手招きした。浅子は店内に入ったが、腰掛けてもらう椅子がなかった。佐吉は恥ずかしそうに
『そら見ての通り、何もねえところで…』
と座敷の上に座ることを勧めた。佐吉は眼をパチクリしながら問うた。
『あのー、何か、あったのけ?』
浅子はうつ向いて、はにかみながら答えた。
『豊田さんが困っていらっしゃるご様子で、もういてもたってもいられずに飛び出してきてしまいました。もちろん石川さんのご了解を得てのことです…』
佐吉はたまげた。浅子がそこまで自分のことを好きなのだと初めて知った。もちろん佐吉も浅子に対して、好きという感情はあった。
(こんな女が妻であってくれれば…)
という気持ちはあった。だが、自分は一度、結婚に失敗した人間である。だから結婚に対して自信がなかった。ところが浅子が自分の方から飛び込んできてくれたのだ。
その日の夜のことである。佐吉は浅子が寝る布団を買ってきた。浅子に2階で寝てもらい、自分は1階の土間で寝るつもりだった。
だが、浅子はもじもじしながら口を開いた。
『あの、私をおそばに置いて下さい』
佐吉は驚いて思わず息を飲んだ。浅子は佐吉に向かって、やっとのことで言葉を発した。
『私は、佐吉さんが好きです。お願いします』
二人はしばらく互いの目を見つめ合った。佐吉は浅子の手を握り締めた。二人は抱き締め合った」
艶子
小説には「悪役」がつきものです。北路透は「艶子」なる女を生み出しました。悪事の限りを尽くし、佐吉を虐め抜きます。この難しい役を演じることができるのは、おそらく女優の米倉涼子さんぐらいしかいないでしょう。
佐吉は伊藤久八という男と共同で事業を始めましたが、その男に騙されます。その男の内縁として艶子が初めて登場するシーンです。
「艶子という女は、キツネ顔の美人だった。
逆三角形の顔で、目は切れ長で二重瞼だった。眉も太くて濃かった。唇の右下に大きなホクロがあった。唇は大きくて、特に上唇は肉が厚くて赤かった。その口元には真紅がほどこされ、妖艶さはそこからきていた。
艶子は、黒地に紅葉の葉をあしらった着物を着ていた。雰囲気から夜の仕事をしていることが、すぐわかった。通り過ぎれば、どんな男も振り返りそうな美人だった。現代ならばモデルか女優になれるだろう。身長は5尺3寸(163センチ)ぐらいだ。
『艶子と言います。あんばようお願い致します』」
艶子は、甲斐性なしの伊藤久八に愛想を尽かしながら貧乏暮らしをしていた頃があり、その様子です。
「艶子は甲斐性のない久八に愛想を尽かしながらも、腐れ縁のようにくっついていた。
艶子は、富山の寒村の出身で幼い頃に遊郭に売り飛ばされたという辛い過去があった。
艶子は若い頃、よく男から振り返られた。しゃなり、しゃなり、と歩く姿に男たちは釘付けにされたものだ。男たちの視線を背後で感じるのが何よりも自慢だった。
潤んだ瞳で上目(うわめ)遣いに見つめられると、たいていの男はクラクラッときてイチコロだった」
艶子は、豊田商會に掃除婦として潜入すると、せっせと悪事を働きます。
「艶子には、実は隠された目的があった。それは豊田家から価値のある物を盗むことだった。だから清掃係を希望した。
艶子は豊田商會で勤務しながら、夜には別の仕事にも精を出していた。それは大須での夜の仕事だった。
艶子は年も年だったので、表だって娼妓(しょうぎ)にはなっていなかった。だが裏で紹介されて、それらしいことをしていた。
艶子は、会社から家に帰るとまず風呂に入った。長い風呂だった。風呂から出ると、屈伸体操をした。艶子は暇さえあれば、屈伸体操をしていた。おかげで綺麗な体型を維持していた。その身体で多くの男たちをあやなしてきたのだ。
屈伸体操の後で食事をした。アサリの味噌汁、焼き魚、お浸しなどの和食を好んだ。甘いものは極力口にしなかった。もちろん美容のためである。
食後、30分かけて化粧をした。白粉を塗り、眉を描き、唇に紅をひくと、キツネ顔の妖艶(ようえん)なべっぴんに変身し、なまめかしい空気が出てきた。
艶子は鏡に向かって、下からすくい上げるような媚びる目つきをした。媚(こび)を売る練習である。
艶子は30代半ばになっていて、当時としては既に中高年といって良いだろう。普通なら、とても夜の仕事ができるとは思えないのだが、艶子は別だった。その女っぷりが衰えないのである。後世で言うところの美魔女であった」
艶子は、信じるものはオカネだけです。夜寝る前にも、このような習慣がありました。
「部屋で鏡に向かった。頭には高級感溢れる本鼈甲(ほんべっこう)の二又簪(ふたまたかんざし)を差していた。それは鷺田からもらったものだったが、それを外した。代わりに昔の恋人の豊造からもらった形見の玉簪(たまかんざし)を胸元から大事そうに取り出して、頭に差した。玉簪は、小さな赤い玉の付いたものだった。
艶子は16歳に戻ったように、はにかみながらニコッとした。鏡の向こうから豊造も微笑み返してくれた。
鏡台を閉じると、艶子の顔は一変し、いつもの儀式を始めた。畳の下に隠してあった金の延べ棒を、一本一本布で磨きながら数えるのである。
銀行も信用しない艶子は、畳の下に大きな金庫を隠していた。それを開けると、まばゆい金の延べ棒がどっさり出てきた。金は、地金で500グラムの寸法のもので揃えていた。縦87ミリ、横44ミリ、厚さ9ミリだった。
艶子はそれを両手の人差し指に乗せ、ちょっとぶつけてみた。金はチーンという音を立てた。その音を聴くと、1日の疲れも飛んでしまうのである。それを三度繰り返した。
地金を磨くと、そこには自分の顔がよく映った。艶子は、地金に映った自分の顔に向かってつぶやいた。
『しょせんこの世は、これだわ』
『ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、ホッ』
『私はまだまだよ』」
艶子は、お金持ちで高齢の夫を早死にさせて、その遺産を奪います。勝ち誇った艶子の様子を想像して下さい。
「葬儀は死の2日後に、艶子が喪主になって執り行った。
艶子は葬儀を終えると早々に鷺田の遺品を段ボール箱に詰め込んで、焼却炉にバーンと投げ込んだ。その後も、何か余計な遺品が残っていないか見て回った。
葬儀の翌朝、艶子は寒椿(かんつばき)の花柄の着物を着て鏡の前に立っていた。濃い紅色が鮮やかだった。両手には大きなダイヤが光り、ネックレスが鮮やかな光を放っていた。艶子は晴れ晴れとした表情で、両手を挙げて、桃色の歯茎をむき出して笑った。
『勝ったわ。これで人生の大掃除やわ。もう鷺田艶子でちゃないがやから。今日からは柳艶子。そして間もなく大澄艶子よ。新しい人生の始まりやわ』
富山弁でそうつぶやいた時、右手には財産分与の公正証書を握り締めていた。
寝ていた息子の賢太郎が起きて泣きながら寄ってきたが、左手ではらい除(の)けた。
艶子が若きツバメの賢次郎を河正旅館に住まわせるようなったのは、それからすぐのことである」