方言

北路透がこだわったのは「方言」です。方言で語ると、その人らしさが浮かび上がります。おかげさまで、いろいろな先生のご協力が得られました。正しくない箇所があるかもしれませんが、ご容赦下さい。

主役の佐吉は、湖西の出身です。湖西弁は遠州弁と三河弁が混じった方言になっているようで、その方言指導は島篤史氏の添削指導を受けました。

「おっかちゃ。ようやくここまできた」(湖西では、母のことを「おっかちゃ」と呼ぶ)

「また、あっかあを抱きたい」(「あっかあ」は湖西弁で「赤ん坊」の意味)

「おだいさまの家で育ててもらえれば学校にも行かせてもらえて、その方が幸福かもしれない」(「おだいさま」は湖西弁で「お金持ち」という意味)

名古屋弁(服部兼三郎・伊藤久八ら)は、名古屋の公認会計士・伊藤宗太郎先生の添削指導を受けました。

「実は私、お昼は豊田商會ではたりゃぁてるのよ」

「お客様から納期遅れだと、めっちゃんこ催促が来ていました。」(「めっちゃんこ」は名古屋弁で「非常に」という意味)

「ええこと、絶対どんなことがあっても自分から辞めたらだちかん」(名古屋弁では「駄目」を「だちかん」という)

半田弁(石川藤八ら)については、小栗照夫先生の添削指導を受けました。

「半信半疑であった。腕を組みながら見る者、首を傾げる者などさまざまであった。
『おい、すぐと生地が出てきたがや』」

富山弁(艶子)は、元井美智子氏の添削指導を受けました。

「『もしや。でもマサカ、ちゃんと避妊しとるがに』

 艶子は、富山弁でつぶやきながら首を傾げた。

 艶子はいつもは名古屋弁だったが、驚いた時は思わず富山弁が出てしまった」

「『勝ったわ。これで人生の大掃除やわ。もう鷺田艶子でちゃないがやから。今日からは柳艶子。そして間もなく大澄艶子よ。新しい人生の始まりやわ』

富山弁でそうつぶやいた時、右手には財産分与の公正証書を握り締めていた」