「小説やらまいか」の登場人物

豊田佐吉豊田佐吉

身内

豊田伊吉豊田伊吉
佐吉の父。社寺建築を手掛ける名工だった。二宮尊徳の信奉者。後継者にと思っていた佐吉が「発明家を目指す」と言い出したので大反対した。だが、佐吉が織機の発明に成功すると認めるようになった。
豊田ゑい豊田ゑい
佐吉の母。日蓮宗に帰依。深い愛情で子供たちを育てた。

豊田平吉豊田平吉
佐吉の9歳下の弟。理知的な技術者肌で、佐吉の発明を支えた。
豊田佐助豊田佐助
佐吉の15歳下の末弟。浅子と共に豊田商會を盛り上げた。

たみたみ
佐吉の最初の妻で喜一郎を生んだが、折り合いが悪くなり豊田家を出た。佐吉とは後に和解する。看護婦となり日露戦争の戦傷者を看病。
浅子浅子
佐吉の後妻。賢婦人で、豊田商會を切り盛りして基礎を築いた。おかげで佐吉は発明に精進することができた。まさに“女太閤記”のような人物。

喜一郎喜一郎
佐吉とたみとの間の子。トヨタ自動車の創立者。
愛子愛子
佐吉と浅子との間の子。美人で、髪は烏の濡羽色(ぬればいろ)だった。

利三郎利三郎
伊藤忠の商社マンだった。兄の児玉一造の勧めで愛子とお見合いして一目惚れ。婿に入って豊田利三郎となり、豊田財閥の総帥に。後に喜一郎が自動車に進出することに反対した。喜一郎よりも11歳年上だった。

支援者

石川藤八石川藤八
半田乙川の豪商。佐吉と出会い発明を応援した。発明が完成すると、織布工場を建設した。
服部兼三郎服部兼三郎
江南市出身。祖父江重兵衛(糸重)に奉公して娘までもらったが、呑む打つ買うが激しくて離縁された。独立して服部商店を創業。佐吉の盟友で、織機を購入するなど支援を惜しまなかった。日露戦争後、大陸に綿布を輸出して飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、第一次世界大戦後の恐慌で失敗して自殺。服部商店を再建したのは、番頭だった三輪常次郎で、現在の興和につながる。

藤野亀之助藤野亀之助
三井物産の綿布担当。織りムラがない綿布を見つけ、どこで織られたのかと調べてみると、半田乙川の石川藤八の工場だった。佐吉の力織機の性能に目を見張った。三井本社に報告して、佐吉が世に出るきっかけを作った。
児玉一造児玉一造
彦根出身。英語や中国語を身に付けて、三井物産で昇進した。名古屋支店長時代に佐吉と出会い支援するようになった。大正9年には、三井物産の綿花部を独立させて、東洋綿花を設立して専務に就任。児玉は上海で利益を上げてコットンプリンスと評された。佐吉が上海に進出したのも一造の手引き。

矢田績矢田績
三井銀行名古屋支店長で、佐吉や服部兼三郎など将来性のある若手を応援。銀行定年後は名古屋に戻り東区撞木(しゅもく)町で家を造った。その家は撞木クラブと呼ばれた。利三郎は頻繁に訪れて経営指導を仰いだ。「中部財界のご意見番」。

番頭

西川秋次西川秋次
豊橋出身。浅子の親戚。県立第一師範学校に入学して佐吉と出会った。佐吉が豊田式織機で辞職に追い込まれた後に行った欧米視察に随行した。帰国後は栄生の紡織工場の責任者になった。佐吉が上海に進出すると、その責任者にもなり、大東亜戦争終結まで大陸にいた。大番頭として「佐吉の行くところ秋次あり」と言われた。
石田退三石田退三
常滑出身。児玉一造の親戚で、一造の紹介で服部商店に入社。上海に勤務となり、佐吉と交流した。兼三郎の死後は豊田に入り、昭和25年に経営危機に陥ったトヨタ自動車の社長になり再建を果たした。

久八伊藤久八
佐吉を何度も騙した。大須遊郭に入り浸りだった。豊田商會に入り、横領を重ねた上で受取手形を盗んだ。艶子と内縁関係だった。
艶子艶子
キツネ顔の美人で男をたぶらかす元遊女。久八と一緒に豊田商會に入り、織機の図面を盗んで競合会社に売り渡した。鷺田良希の愛人だったが、妻になり、その死後に豊田式織機という会社を手に入れた。特許違反で佐吉を訴えるなど、佐吉を苦しめた。

大澄賢次郎
艶子の若きツバメ。艶子のおかげで豊田式織機の社長に。だが後に艶子に反発した。
鷺田鷺田良希
大阪商人。佐吉を誘って豊田式織機を設立した後、佐吉を辞任に追い込んで騙し討ちに。

豊田家の家系

豊田家家系図

人間関係

人間関係図