後藤博氏(慶応義塾大学 SFC研究所 上席所員)

大手企業に勤務しながら、患者団体を主宰する後藤博さんから推薦文を頂戴した。文面を読んで、心が熱くなった。

(熱い人が、読むと、こんなに熱くなるんだ)
その熱がこちらの胸にもじんじんと伝わってくる。

障害を抱えるようになって復職した後藤さんは、病に罹って苦しんでいたが、リハビリを重ねて闘っておられる。

名古屋勤務時代は、よく呑んだ仲であり、住吉の「ドロップアウト」(店名)なる店に行ったもんだ。私にとっては弟分のような存在だ。その後藤君からこんな推薦文をもらって嬉しかった。

時空を超えて今、蘇る「やらまいか」魂
志しを包込む 母性に育まれた追求の生き方

慶応義塾大学 SFC研究所 上席所員
後藤 博

日本を牽引する世界的企業の一つ、トヨタ自動車。その原点となる自動織機を発明したのが豊田佐吉であり、「小説 やらまいか~豊田佐吉傳」を通じ、今の時代に「やらまいか魂」を宿して鮮やかに蘇っている。

小説の中ではトヨタ自動車の礎がどのように築かれていったのか、またどの場所で何が展開されていったのか、驚くことに現在の所在地を紹介する記述もふんだんに盛り込まれていて、それらがよくわかるように描かれている。名古屋に足を運んだことがある人なら、その地の情景が浮かび、未知の人でも地図からその地の想像が膨らむ。読み進む中で時折、観光ガイドを観ているような妙な感覚にもなってくるから不思議だ。語り部、豊田佐吉の母「ゑい」とともに現地への訪問を誘ってくれているようだ。

発明は、着想から実用に至るまでには、たいてい「産みの苦しみ」を伴うものではないだろうか。豊田佐吉の場合も想像を絶するような、転落・混迷の局面に遭遇し潜り抜けている。相当の苦しみを何度も乗り越えてきたのだろう。

具体的には震災に被災、脚気に罹患、共同事業者の裏切り、借金、離婚、訴訟など、生活が向上したかと思うとまた、どん底に直面してしまう。夢や発明の意向を表しても周囲から理解されない、孤独な状況に陥る場面にも遭遇している。

しかし、どのような苦境にたたされようとその傍に、佐吉を理解し見守ってくれる母「ゑい」、陽になり影になり支えてくれる妻「浅子」の姿が描かれている。ふと思った。このような無償の大きな深い母性的な愛情によって、発明は育まれたのではないだろうか。結果や報酬を求めることを急いては偉大な発明は成就しなかったのではないだろうか。

晩年に至っては、母「ゑい」、佐吉も脳卒中を罹患している。身体的にも障害を抱えるようになっていたのかもしれない。この障害、言い換えれば生き抜くための「困難」として理解する見方の一つに、WHO(世界保健機関)で採択されているICF(International Classification of Functioning , Disability and Health)(国際生活機能分類)というものがある。ここでいう人が生きるための生活機能は「心身機能・構造(生命レベル)」「活動(生活レベル)」「参加(人生レベル」でできていて、相互作用しているとされる。また生活機能に影響する背景因子として、個人因子と環境因子があり、先の3つに加えそれぞれが相互作用しているとして全体で障害を捉える見方である。つまり、困難があっても他の要素からのアプローチを視野に入れ、障害を極小させ、よりよく生き抜こうするためのものである。

逆の見方をすれば、一つの障害が全体に影響することを意味していることにもなる。佐吉は一つの困難を生きることの全ての所為にはしなかったのだろう。

人生には好・不調がつきものだ。支え合う人との出会い、離別も影響は大きいだろう。強烈な衝撃を受け、打ちひしがれるような局面では、どのような選択をすれば良いのか、全く思考が及ばないこともあろう。しかし、佐吉は冷静に周囲を俯瞰し、そこにある材料を生きるための資源にし、ポジティブパワーに変換している。偶発的な幸運的事象も不可欠なのかもしれない。しかし、「やらまいか魂」をもって、やれることを最大限にやりきっていることは間違いないように思う。

幕末から近代化に向かった明治、大正、昭和の時代を生き抜いた佐吉が存在したから、その母「ゑい」が存在したから、「やらまいか」の魂があったからこそ、今日のトヨタ、名古屋、日本があると思うと実に感慨深い。失敗は成功の元と言われる。この母性は失敗を包容する「発明の母」のようである。「小説やらまいか 豊田佐吉傳」にはやらまいかの精神を強く支え、それを育む包容力、母性に対する著者の畏敬の念が滲み出ているようにも感じられる。

戦国時代を終結させた武将三傑を育んだ地として名古屋一帯は有名であるが、その後になってこのような偉大な発明を育んだ地でもあることがわかる。心機一転、新たな始動に挑もうとする人は勿論であるが、人生で障害を抱えた人たちや郷土・未来を担う子供たちにも是非、手にしてもらいたい一冊である。

社会環境が変化する中、これまでの枠組みでは複雑となった社会的課題解の解決は困難さを増し、生き抜く力が重要視されつつある。「やらまいか魂」から学ぶことは計り知れない。