瀧澤中先生(作家・政治史研究家)

実に「愉しい学びの本」

瀧澤中作家・政治史研究家
瀧澤 中先生

本には大きく分けて、二種類ある。
一つは、学ぶ本。
一つは、愉しむ本。
本書は、この双方を併せ持つ、実に「愉しい学びの本」であった。

豊田佐吉翁のことは、高齢者はその名を知っていようが、トヨタ関係者以外の若者でこの名を知る者はほとんどいないであろう。
また、佐吉翁の名は知ってはいても、彼を支えた人々を知る者は少ない。
しかし、一つの企業が(自動織機時代含め)100年以上も続き、しかも世界的企業に発展するには、創業者個人の能力だけではいかんともしがたい。
優秀な社員はもちろんのこと、社外の協力者、金融関係、取引関係、そしてなんと言っても家族の協力なくして、成しがたいのではないか。

本書が他の佐吉伝と趣を異にする部分は、まさにこの「家族」「協力者」を、その人物像がまるで身近にいる人間のように浮き彫りにされることにあろう。

特に母ゑい、後妻の浅子の献身には、時に胸の震えを覚える。
本書は小説であるが、だからこそ、たとえば母ゑいの佐吉に対する溢れんばかりの愛情と、佐吉がその愛情に甘えることなく、むしろその愛情に応えるべく切磋琢磨する姿を、活き活きと描くことに成功している。
まさに理想の母子関係である。そしてそれは、真実の豊田母子の姿であろう。

主人公ではないが、長男・喜一郎の複雑な生い立ちと、後年、自社開発にこだわった技術屋魂の芽吹きを、本書では気負うことなく理解できる。

さらに。途中何度も迎える経営危機の際に、手を差し伸べてくれる人々の姿を通して、経営者の持つべき資質、すなわち、佐吉翁の「誠実さ」を思わずにいられない。
実際の経営の現場では、企業規模や売上実績やそれらを含めた財務状況がモノを言うが、それらがほとんど無いときにどうすべきなのか、佐吉翁と彼を助けた人々の話の中からすくい上げることができる。

そういうことを含めて、本書は、今を懸命に生きる若者のための書でもあると痛感した。

加えて、佐吉翁と家族を苦しめる人物たちの描き方も秀逸である。
ネタバレになるので詳しくは記さないが、他の佐吉翁伝では、悪人たちの人物像が単調であるのに対し、本書では彼らも活写されて、人間の業の深さを思い知る。

いずれにしても、専門知識などまったく必要なく、それでいて豊田佐吉という人物を知るのに、まさに好適の書と言える。