溝口常俊先生(名古屋大学名誉教授)

溝口常俊

溝口常俊先生

名古屋大学名誉教授の溝口常俊先生が「小説やらまいか 豊田佐吉傳」を絶賛して下さいました。

先生は名古屋の歴史の権威です。その先生から褒められるのは名誉です。有り難うございました。

先生は、北見昌朗が主宰する名古屋城天守閣を木造復元し、旧町名を復活する会でもこのように、たびたびご講演いただいています。
【第75回】寺院資料からみた災害列島日本
http://www.fukkatu-nagoya.com/reikai/vol75.html

【第51回】歴史災害から見る名古屋
http://www.fukkatu-nagoya.com/reikai/vol51.html

明治を学ぶ格好の書

名古屋大学名誉教授
溝口常俊先生

この度、日本近代産業の生みの親である豊田佐吉が、小説『やらまいか』で令和元年によみがえった。作者はペンネームを「北路透」とした北見昌朗である。北見氏がこの十年間『豊田佐吉傳』をはじめとする関係資料を渉猟し、佐吉だけでなくその家族、関係者を隈なく当たり情報収集した傑作である。佐吉自身の自動織機発明にいたるまでの事実を叙述した従来の評伝とは一味違った興味深い内容になっている。タイトルに「小説」とあえて付けられているのは、登場人物の性格、発言などに対して、北見氏の思いが入っているからではあるが、彼らの存在、歴史的事実自体はゆがめられていないので、歴史書としての価値も十分に備えている。

以下、北見氏の思いを読みとっていきたい。

なんといっても佐吉の母・ゑいが素晴らしい。こんな息子思いの母親が世の中にいたとは驚きである。佐吉が事業に成功したら喜び、失敗しても励まし、父親に殴られても、妻に逃げられても、村人にキチガイ扱いされてもフォローし続けている。佐吉が発明のためとはいえ村人から借金をしまくって返済しないままのときも、普通なら息子をしかるべきなのに、母・ゑいは自分が矢面に立って息子を守っている。

この書物の中心にこれ以上ない母親がどっかりと座っているので、佐吉を含めて登場人物の「悪役」部分がかなり述べられているが、安心して読むことができる。そして、読者が、登場人物それぞれの立場にたったらどう思うか、それを考えさせてくれる。佐吉が窮地に陥った時に家族以外にも多くの人が助けてくれた。その援助についてはここでは割愛するが、小説ならではの悪役に焦点をあてて、考えてみよう。

佐吉自身:最初の奥さん・たみが長男・喜一郎を妊娠し、出産した時くらい、もっとそばにいてあげてほしかった。

たみさん(先妻):こんな佐吉から逃げ出したくなるのは理解できる。養育費がかかることから喜一郎を引き取れなかったのは可哀そう。

伊吉(父親):大工の仕事を継がずに将来が見えない織機発明にうつつをぬかす佐吉を責め、殴った。信頼していた弟子に騙され負債を背負わされていただけに、佐吉に後継者になってほしいという気持ちはわかる。

おのぶさん(おば):本書上巻で最悪人として描かれている。とにかく豊田家の悪口を言いまくる。嫁ぎ先から追い出されて来たという事情があるので、成功者をねたむ気持ちはわからなくもないが、兄・伊吉家族にもう少し寄り添ってあげればいいのにと思った。

名古屋銀行:最初に融資願いに出かけた佐吉と奥さんの浅子(後妻)はインテリ風の若銀行員にけんもほろろに追い返された。それが後日、佐吉が大発明家として有名になると、インテリ銀行員が融資をしに訪ねてきた。浅子と佐吉は倍返しにして追い返えした。

艶子:本書下巻での最悪人。富山出身。身売りされた身だから同情はするが、火災でお岩さん顔になってからも誰彼なしに威圧し続けるふるまいには威圧される。

さて、本書は歴史学で明治時代を学ぶのに格好の書物になっている。明治の年と佐吉の年齢が同じだからである。佐吉は1867年3月19日(旧暦、慶応3年2月14日)に生まれ、1930年10月30日(昭和5年)に亡くなった。慶応3年に誕生した佐吉は明治元年に満1歳である(書物では数え歳にしてあるが)。書物では年月日順に、母・ゑいの語りの後に、佐吉伝が書かれているが、たとえば板垣退助襲撃事件(明治15年4月)、濃尾地震発生(明治24年10月28日)、日清戦争終結(28年3月19日)などの歴史的事件も記されているので、佐吉の年齢と重ねて明治を学ぶことができる。

明治15年、佐吉が15歳の時に弟の佐助が生まれる。明治24年震災の日に24歳の佐吉は実家の浜松から尾張の稲沢に行っていた。音信不通になった佐吉が帰ってきたのが20日後。大泣きして佐吉を迎え入れた家族。佐吉に厳しかった父親の伊吉も泣き崩れてしまった。

明治28年、日清戦争で日本は清国に勝ちはしたが、三国干渉が始まり、ロシアから遼東半島を中国に返せとの要求があり、ロシアとの戦争が始まるのではとの情勢になった。そんな時28歳の佐吉は「欧米の連中は、日本人を馬鹿にしている。僕は世界一の織機を発明して、日本人は知恵で劣らねえことを証明してやる」と誓った。この年の母・ゑいの言葉は現在に通じる響きがあるので載せておこう「私の周囲の女は皆戦争に反対でした。だって、夫や息子が出征するのですもの。女で戦争に賛成する人なんている訳がありません。いったい何のために戦争するのでしょう。戦争は本当に嫌です」

そして下巻に入って明治37年日露戦争が開戦。何日も何日も母・ゑいの語りは日露戦争話で始まる。息子の佐助が従軍しているから気が気ではない。6月:戦地からは、負傷した兵隊さんたちが毎日のように送られてきました。名古屋駅には、傷付いた兵隊さんの姿があり、ある人は松葉杖をつき、ある人は担架で運ばれてきました。9月:私は脳卒中で倒れ、家族に心配を掛けました。12月佐助が帰国するという朗報が飛び込んできたのです。(ゑいも退院)。明治38年1月:難攻不落の旅順が遂に陥落したのです。日本国中が沸き上がり、女たちの間に「二百三高地髷」が流行。でも、本当はそんな騒ぎをしている場合ではありません。だって、多くの若者が犠牲になったのです。

大正3年6月:第一次世界大戦が始まる。8月23日:日本はドイツに宣戦布告。11月:戦争終結。「どんな理由であれ戦争だけはしてほしくなかった」と母・ゑいの声。

明治・大正・昭和前期と、日本は自動織機と自動車によって世界に名だたる産業立国となった。その一方で、忘れてならないのが戦争の時代であったという負の遺産である。産業立国と戦争のそれぞれについては立派な研究がなされており多数の書物も出されている。ところがその両者を関連付けて論じた書物はなく、本書が始めてである。「佐吉の母の語りより」によって。

最期に、著者の趣向によるヒットを2本あげて本書感想文の〆としたい。

一つは方言。評者の私は名古屋出身だから名古屋弁はよくわかるが、名古屋弁と思っていた「やらまいか」が浜松の湖西弁であったとは。そこまでのこだわりを持っていなかったので感心した。また富山に13年間暮らしていたので、話すまではいかないが富山弁を聞き分けることはできる。下巻で艶子が富山弁で意地悪をするのには耐えられなかったが、上巻で富山の薬売りが、足にまめができた同宿の佐吉(11歳)に針をさして、絆創膏を貼って手当てしてあげるシーンは富山弁の言葉尻とともに印象に残っている。「だら可哀想に。まめできとるにか」「こうゆうとっきゃ、針刺して出すがや」「坊やなら、なにもいらんちゃ」。

二つ目は装画と豊田家の家族と人間関係を描いた顔絵。

大正7年秋と9年春にはスペイン風邪が流行し、歴史人口学者の速水融によれば、日本で45万人の死者が出たという。佐吉の自動織機発明の大恩人である藤野亀之助がそのうちの1人であったとは。9年1月にインフルエンザで亡くなったことを本書で知った。この藤野氏と、佐吉と浅子の子で絶世の美人と紹介された愛子の顔が、上下巻とも本の中央の折り目に隠れてしまっており、せっかくの良き容姿が拝見できなかったのが残念であった。

(2019.12.18 溝口常俊)

プロフィール

1948年愛知県名古屋市に生まれる。1972年名古屋大学文学部卒業、1979年大学院博士後期課程満期退学。1981年に名古屋大学文学部助手、1983年富山大学教養部助教授、1992年8月~93年9月カリフォルニア大学デービス校客員研究員、1994年人文学部教授、1996年10月名古屋大学文学部教授、2001年4月より名古屋大学大学院環境学研究科教授。

2002年文学で博士号(京都大学)取得。2011年4月より環境学研究科研究科長、2013年3月名古屋大学退官、名誉教授となり現在にいたる。

永年、「洪水常襲地における21世紀型水環境社会の構築」「バングラデシュの農村調査」「インドの定期市調査」「日本の離島での社会調査」「近世・近代における武士と農民の日記分析」などの調査、研究を行っている。また、愛知県史、名古屋市史、中区誌の編纂事業に携わり、現在は豊田市誌編纂に従事している。

●主な著書

溝口常俊『日本近世・近代の畑作地域史研究』名古屋大学出版会、2002.12
溝口常俊『インド・いちば・フィールドワーク』ナカニシヤ書店、2006.1
石原潤・溝口常俊『南アジアの定期市-カースト社会における伝統的流通システム』古今書院、2006.10
溝口常俊監修『古地図で見る名古屋』樹林舎、2008.10
溝口常俊監修『古地図で歩く城下町名古屋』流行発信、2010.3
海津正倫・溝口常俊監訳/J.R.マクニール著『20世紀環境史』名古屋大学出版会、2011.9
溝口常俊編著『古地図で楽しむなごや今昔』風媒社、2014.4
溝口常俊監修『明治・大正・昭和 名古屋地図さんぽ』風媒社、2015.10
溝口常俊編著『古地図で楽しむ尾張』風媒社、2017.1

(1行解説)

溝口常俊編『江戸期なごやアトラス』名古屋市総務局、1998
・近世の地誌を図像化した地図帳で、名古屋の経済、社会、文化の実像を明らかにする。

溝口常俊『日本近世・近代の畑作地域史研究』名古屋大学出版会、2002.12
・日本の「水田中心史観」を批判し、「田畑融合史観」を実証的に提唱。

溝口常俊『インド・いちば・フィールドワーク』ナカニシヤ書店、2006.1
・1989年に北インドでの定期市調査時に付けた日記。バラモン、不可触民、王様、娼婦・・・「いちば」につどう様々なカーストの日常生活を描く。

石原潤・溝口常俊『南アジアの定期市-カースト社会における伝統的流通システム』古今書院、2006.10
・1980年代にインド、バングラデシュの農村地帯の定期市を100以上訪問し、売り手と買い手の行動を分析し、カースト社会の伝統的流通システムを明らかにした。

溝口常俊監修『古地図で見る名古屋』樹林舎、2008.10
・江戸、大坂、京とも違う独自の発展をした城下町・名古屋の町づくりの秘密に迫る。

溝口常俊監修『古地図で歩く城下町名古屋』流行発信、2010.3
・城下町なごやの謎に迫る。ミステリー散歩の幕開け

海津正倫・溝口常俊監訳/J.R.マクニール著『20世紀環境史』名古屋大学出版会、2011.9
・人類史上、未曾有の規模と速度で環境改変が進行した20世紀とは何だったのか。グローバル環境史の名著の翻訳。

溝口常俊編著『古地図で楽しむなごや今昔』風媒社、2014.4
・地図は覚えている、あの日あの時の名古屋。

溝口常俊監修『明治・大正・昭和 名古屋地図さんぽ』風媒社、2015.10
・廃線跡から地形の変遷、戦争の爪痕、自然災害など、地形に刻まれた名古屋の歴史秘話を紹介。

溝口常俊編著『古地図で楽しむ尾張』風媒社、2017.1
・地図をベースに“みる・よむ・あるく”謎解き散歩のすすめ。


・受賞 第3回人文地理学会賞 受賞 2003.11.15