深田正雄氏(料亭つたも会長)

料亭つたも 会長・深田正雄氏と北見昌朗は懇意な仲です。「名古屋城天守閣を木造復元し、旧町名を復活する会」を一緒に立ち上げてやってきたので、頻繁にやりとりしています。

深田正雄氏の凄いところは、地域の歴史を残そうという意欲。「住吉の語り部となりたい」というシリーズで、こんなにも回を重ねておられます。

その深田氏がこのような推薦文を寄せて下さったのは、とても光栄です。
深田さん、今後も名古屋を盛り立てていきましょう!

旧町名で語られるところがとても興奮

深田正雄料亭つたも 会長
深田正雄氏(栄ミナミ地域活性化協議会)

名古屋の旧町名復活する会の世話人として、作者とともに8年ほど前に立ち上げ栄地区の歴史や文化を旧町名を活用して地域の実情を思い浮かべて、語っております。

フィクションとして佐吉と浅子の半田乙川での出逢い、鷺田良希(詐欺ダラケ?)と艶子の因縁、ハラハラして北路小説の楽しさを満喫しました。

史実では、名古屋・栄北での創業と地域の話題が旧町名で語られるところがとても興奮しております。

からくりや和時計に代表される、名古屋モノづくりの原点は中区南・矢場町、前津地区に集積がありました。

関西府県連合共進会は1910年(明治43年)3月16日から6月13日の90日間の会期が設定され、精進川の廃土利用で造成されたばかりの鶴舞公園を会場に開催されました。参加府県は北海道・東北地方の県を除く3府28県にも及び、果ては台湾からも出品され、入場者数は263万2,748人と記録されています。この博覧会が新しい産業技術のクラスターとして大須を含め、多くの鍛冶屋や家具メーカー、機械製造業が集まり、佐吉の織機製作の下請として支えていたようです。

大正期には我が蔦茂旅館にも西三河の鋳物屋さん、工具屋さん、鍛冶屋さんの親父たちがが投宿して連夜、佐吉グループの皆さんと打ち合わせしていたといわれています。

作者が配布している通称「佐吉マップ」にはあらすじダイジェスト、そして、明治27年創業の地「朝日町」そして、その後の宝町、武平町工場と周辺の地図も掲載されていますので、マップとともに同書を読んでいただきたく思います。

感動の「小説やらまいか」に続いて、西川秋次翁の支援から自動車製造への道のりを北路透調の第2弾を鶴首待望する次第です。

北見さん、改めて素晴らしい感動をありがとう。