三戸岡道夫先生(作家)

世のために尽くすという二宮尊徳の精神が生きている

三戸岡道夫作家
三戸岡道夫先生

本書『やらまいか』は、日本の代表的企業であるトヨタグループの歴史的大河ドラマである。

「やらまいか」とは名古屋地方の言葉で、「やろうではないか」という意味である。しかしそのような意見が高まっていても、実際には少しも動きが出てこないので、豊田佐吉は自分一人で研究を始めるのであった。

「やらまいか」ではなく、「俺はやるぞ」である。そして成功する。豊田佐吉の鬼才たるゆえんである。

佐吉は研究室に閉じこもって、研究に没頭する。ある程度研究が進んでも、途中では中止しなかった。それは彼が理想主義であり、同時に、研究開発には目的があったからである。

それは優良な自動織機を作って、それを使って自分が金儲けをしようとしたのではなく、他国よりもすばらしい自動織機を作って、織布メーカーに喜んでもらうと同時に、日本の産業機械の水準をあげようとしたからであった。

佐吉が家の仕事を手伝わずに研究に打ち込めたのは、父母の精神的援助があったからである。

父の伊吉は大工であった。両方とも技術系であったので、商売よりも技術を優先する。佐吉もいい織機を作って、金儲けしようとするのではなく、日本近代産業の水位を少しでも高めて、世の中のために尽くそうとしたのであった。

これには父伊吉の、二宮尊徳の報徳精神の血の流れも大いに影響していると思われる。二宮尊徳の教えは、静岡県掛川市の大日本報徳社を核に全国に普及しているが、伊吉もその熱心な会員であった。

二宮尊徳の重要な教えの一つに「推譲」がある。「世のために尽くす」である。この精神が伊吉と佐吉の中にも流れているので、佐吉の自動織機の研究もいい加減なところでストップすることなく、
(もうその辺でいいのではないか)
というところにきても、本来の研究魂は止まらなのであった。

しかし、いくら佐吉でも、いつまでも研究、研究ではいられない。一応、これはという段階で区切りをつけた。

本著は上、下2巻にわたる大著であるが、上巻では前述のように自動織機が一応完成し、下巻ではその具体化、すなわち研究が企業化へと進むのである。

日本での新しい自動織機をマーケットで実現しようとするのであるから、大変である。

それに賛成する者、反対する者、出資を協力する者、その他大勢の人の力によって次第に企業化され、佐吉の会社が出来、工場も出来上がる。しかし事業が事業だけに、簡単にはいかない。資金の協力者、経営へ介入しようとする者、政治家、銀行員など、大勢の人間が佐吉の周辺で渦を巻き、激しい人間模様が展開される。

その中に一人、中年の妖艶な美女が現れる。彼女はいろいろ付き合っている男たちの手蔓をたどって佐吉の会社へ入社してくるのであるが、佐吉の若干の弱点を握っているので、それを武器にして、会社を乗っ取ろうとする。果して成功するか、しないのか――それは邦枝完二の『お伝地獄』の妖婦以上の迫力をもって、読者に迫ってくるのである。

しかし佐吉の自動織機は次第に企業化されていくのであるが、事業が事業だけに簡単にはいかない。そこに入り乱れる複雑な人間の動きが生々しく描かれていて、当時の名古屋経済界の流れが眼に浮かんでくる。

そして次作は是非、佐吉の長男・喜一郎の「やらまいかトヨタ自動車」をほしいという要求が、読者の胸の中に湧き上がってくる。